
今日は私が負け過ぎて死にたくなった話を書きます。
FXで勝つまでに私もかなり苦しい思いをしました、それがあったからこそ今の自分があると思っております。
2011年3月11日東日本大震災の日。
皆さんは何をされていたでしょうか?
私は1日で150万円負けて、死にたくなってました。
(実際、150万円損切りしなければその後の展開次第で自〇してた可能性もありました(´・ω・`))



負けるのは辛いですね。
自分の口座からお金がなくなり、精神的にも追い詰められます。
東日本大震災。
当事の津波の映像が残っていました。
2010年にFXを見よう見真似で始めて3年間で700万円負けました。
その内150万円が1日で消えたお話をします。
・負ける恐ろしさを知った上で勝ち方を知って欲しい
・勝ち方を知って負け分を取り返した実績を見て欲しい
東日本大震災から月日がたちました
東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)の日、皆さんはどうしていましたか?



私はその日仕事をしておりました。
震災があった日は金曜日でした、まあ平日も日曜日も関係なく働くんですけどね(T_T)
仕事はブラック企業だったので、地震が起きようが電車が止まろうがお構いなく働いていたのを覚えております。
今考えると怖かったのは、震災があった日にエレベーターを使わされて作業をさせられたことでしょうか・・・止まったらどうしてたんでしょうか・・・
その仕事場にはテレビがなく、携帯も持たせて貰えなかったので「情報」がとにかく入ってこなかったです。
働いて、働いて深夜になってました、最寄りの駅の電車は地震で止まっていたので家まで歩いて帰りました。
周りにはたくさんの疲れたサラリーマンが歩いておりました。
同じ方面に歩いていくとどんどん人が集まってくるんですよね。
ズラズラ。。。ズラズラ。。。
違う路線を使おうにも、やはり電車は止まっているので、東京から神奈川まで延々と歩きました。
花火大会の時に歩いた多摩川の橋。



楽しそうにしている人は一人もおらず、みんな目に力が無く、死にそうな顔をしていました。
これからどうなるのかわからない悲壮感が漂ってました。
途中、電気がついてないことに気づきました。
「停電」していたのです。



2010年にFXを始めて5ヶ月目、色々負けが込んでいたのですが、この3/11はここからが鮮明に記憶に残っております。
トレードは基本パソコンでやるのですが、
家に帰ってもパソコンはついてないだろうなと歩いてる最中に思った私は、携帯(ガラケー)を取り出して取引所を開きました。
取引所を開いてみると、先日までプラスだったポジションが「真っ赤」になっていました。



当時は手法が固まっておらず、プラスになる度にピラミッティングして積み上げていたので、ポジションサイズが膨れ上がっていたのです。
※ピラミティングとは、含み益がでたらその利益分を使って更にポジションを取ります。
例えば、豪ドル80円でポジションを取り、81円になったら80円のポジションはそのまま利益を伸ばしつつ81円で更にポジションを取り、82円、83円と同じ事を繰り返し常に上がって行くことを期待したポジション取りのことです。



今考えると、若かったですね(T_T)
ロジックも定まっておらず、聞きかじったやり方を真似して忘れることはできない大負けをしてしまいました。
総合口座を見ると、そこに書いてあったのは
「150万円」
あまりの出来事に考えを放棄しました。
ストレスを抱え込みたくなかったのです。
私は、その場で損ぎりました。
停電している闇の中でぼーっとしてました









私はこの時点で何が起きたのか全く把握していませんでした。
何が原因でFXで負けたのか。
あんな見たことがない円高のチャートになったのか。
わけがわかりませんでした。
黒い海
朝6時に起きてテレビで最初にみた光景はこれでした。
海が黒いのです。
車がこの黒い海に押し流されております。
テレビで見た光景は、間違いなく日本で起きていました。
その映像では、黒い水が車だけでなく家も押し流しておりました。
恐怖と絶望しかありませんでした。



もうわけがわからなかったです。
その時はお金を150万円失ったことを忘れてました。
当時は、衆議院議員・民主党代表の菅直人氏が第94代内閣総理大臣でした。
その後、原発の炉心融解(メルトダウン)で冷却をしなくてはいけないということで、ヘリコプターが特殊な冷却水を直接原発にぶっかけていた。



余談ですが、
この11ヵ月後、人手が足りないという話を聞いて宮城県の多賀城へボランティアにいきました。
1年近くたっても、傷跡は癒えてなく、海辺にはひっくり返った船がありましたし、残骸は散らばっておりました。
歴史が好きだったので電車に乗り、仕事後に伊達政宗資料館に少し立ち寄りました。
中はグチャグチャで壊れた伊達政宗が出迎えてくれたのを覚えております。
仙台にあれから行っておりませんが、時間があれば当時と違うのか是非行ってみたいです。
その時は、FXで勝ったお金で行きます。
FX(為替)でヘッジファンドに仕掛けられ数千万円負けかけました(死にかけました)
世界には、為替で稼いでいるヘッジファンドが存在します。
この集団が為替に介入してくると大きくチャートが動くのですが・・・
しかし、今回はえげつなかったですね。
2010年からFXをやってますが恐ろしさを感じたトップ3に間違いなく入ります。
私は2011年当時も、高金利通貨である「豪ドル/円」をメインにトレードしておりました。
安くなったら買えば儲かったのです。
今も昔も、下げたら豪ドルを購入してスワップ収入と一緒に稼ぐうねり取り手法は変わりありませんでした。
ただ、ロジックは未熟でしたし、リーマンショックから2年ちょいしかたっておらずまたあんな相場になるんじゃないかとビクビクしてました。
※結局、豪ドル云々ではなく色々な通貨に手を出して負けていたのでトータルは大きく負けこしてました。
皮肉な話ですが、その豪ドルを損切りしてポジションが無くなっていたので「退場」せずに済みました。
もし、あの日。
東日本大震災の日。



最後の電池で損切りを行わなかったら、損ぎり場がわからずに退場どころか最悪死んでいたかもしれませんでした。
今、XP兄貴として存在とかの話ではありません。
命を落としていたということになります。
新小岩で飛び込み自殺なんて話が話題になりましたが、
兄貴はその気持ちがわかります。
円高に仕掛けられたのは日本口座メンテナンス時間。死にかけました。
震災があった日は金曜日。
土日に続報が入る度に世界中の投資家心理は冷めていきました。
そこから、連日円高に進んでいきました。
どんどん落ちていくのです、震災があった日から恐怖心が煽られてみんな損切りをしていくからです。
(買いポジション→暴落→ポジションを売る→下げが加速する→怖くなってみんな売る→更に暴落)
暴落に勢いがついていきました。
その後、異常なことがおきます。
そして、3/17(木)早朝。
今だかつて見たことがない現象が早朝の自分を襲いました。
ポジションは持っていないにも関わらず、
トラウマを作るには充分な事件が起きました。



FXの日本取引口座は、朝6時45分から7時までの間にメンテナンス時間があります。
この時間は基本相場はあまり動かないはずです。
オセアニアや中東ぐらいしかポジションを動かさないからです。
日本人はそもそも取引すらできません。
チャートは動かないはずなのです。
普通ならば。



しかし、この日は違いました。
ヘッジファンドが、このメンテナンス時間に仕掛けたのです。
これは豪ドル/円の日足チャートになります。



この下ヒゲを見て下さい。
82円から74円近くまで7円動いております。
兄貴は月曜日早朝起きていました。
仕事というのもありますが、連日眠れなく睡眠が浅かったのです。
だから見てしまいました。
この瞬間を。



日本人がトレードできない時間のはずなのに、取引開始と同時に一気に取引量が増え数分で7円近くの暴落したのです。
82円台にあったチャートが74円にありました。
これは豪ドルだけでなく全通貨が円高になりました。
1ロット持ってれば7万円
10ロット持ってれば70万円
100ロット持ってれば700万円
口座が動きだしたその瞬間に含み損になる計算です。
口座が動き出した7時ジャスト。
大暴落を起こしました。



今回おきた事件の怖いことは、「ロスカット」が効かないことになります。
※ロスカットは、このような暴落や暴騰などチャートが急激に動いた時に、トレーダーの資産を守る為にあらかじめ決められたところで自動的にポジションが決済されるシステムです。



しかし、メンテナンス中だった為にこのロスカットが効かない!
これが、大幅な値動きにつながったのです。
ヘッジファンドが、大量に資金を投入し、口座に資金を入れてない人の資産を無理やりロスカットしてどんどんロスカットを誘発させたのがこの事件でした。



兄貴は一生このチャートを見た時の衝撃は忘れなません。
『窓』と呼ばれる、金曜日と月曜日のギャップが7円あるなんてのは異常です。
その後、国がレバレッジ規制をかけました。
50倍→25倍へ。
私はできるだけレバレッジ3倍ぐらいになるように調整しております。
7円近くの値動きと大きな窓がどんなだったのかチャートを見てみましょう。
※窓とは、最終値と始値が違った場合に起きるギャップのことです。



私には、FXを教えてくれた友人がおりました。
ドル/円が当時の最安値付近だったのでナンピンをして稼いでおりました。
※ナンピンとは、安くなったら更にポジションを購入し、持ってるポジションの平均レートを下げることです。
携帯(ガラケー)にその友人からメールが入ってました。
「ロスカットされた、自分の持っている資産を超えたマイナスがでている」
本来ロスカットが聞いていれば30万円ぐらいの負けで済んだところが、200万円以上の損をだしたと言っていました。
友人は電話口で泣いていました。
私も・・・もしポジションを損ぎっていなかったら、数千万負けて退場だったたもしれません。



あの時、損切りをしてなかったら、今ここにはいなかった可能性があります。
自己破産という手もありますが、どっちにしても人生はメチャクチャになっていました。
※ネットでFXの負けは自己破産できないという意見がありますが、「裁量免責」事由として自己破産できるようです。
本当にこの件だけは、良かったです。



ただ・・・この後の展開がね・・・
G7による円売り協調介入でメンタルブレイク



この東日本大震災ショックで私は大きく負けました。
負けてこう思ったんです。
「どこまで下がるかわからないから、損切りしておいて正解だった。」



チャート的にもう手がだせないところまで下げていたし、怖くて豪ドルのポジションを取る勇気もありませんでした。
しかし・・・
7カ国(G7)の財務相・中央銀行総裁は日本時間18日午前、東日本大震災の発生を受けて臨時の電話会合を開催し、日米欧カナダのG7各国当局による協調した円売り介入の実施について合意した。
日本当局は午前9時から外国為替市場でドル買い/円売り介入に踏み切り、それまで79円前半で取引されていたドル/円は、81円前半に2円程度上昇している。
野田佳彦財務相は会見で、協調介入を今後も断続的に実施していく考えを明らかにした。
協調介入は2000年9月に日米欧カナダなどがユーロ安阻止を狙って実施して以来、10年半ぶり。
∑(OωO; )
意味がわからなかったです。



私の周りはここのアップダウンで大勢退場しました。
一瞬でした。
どこまでも下がっていき、リーマンショック水準まで落ち込むかと思われた暴落は、「G7による円売り強調介入」で数日で値を戻し、そしてはるかかなたまで上がっていきました。
ロイター通信に、その当時の記事が残っていましたので紹介します。



74円まで暴落した豪ドルが数日で90円まで上がる。
当時のロジックが出来てなく、対応力もなければ、自信がなく負け癖がついている自分にはお手上げでした。
当事の自分はこう思いました。
「ロスカットせずに持っていれば助かったのに・・・」
こう思ってメンタルブレイクしました。
FXをやってはいけない時期に始めてしまった苦い過去です。
いや、資金管理を怠った自分への罰でしょう。
経験値を含め全てにおいて足りてませんでした。



ここで大勢のトレーダーが退場しました。
ここで得た教訓は、生涯忘れてはいけません。
この記事を見てくれた人も、兄貴の負けを教訓にして欲しいです。
・大きくポジションを仕掛ける人は余裕を持った資金計画で。
・自分の中でわからなかったらそれはルールが破綻しているので「損切り」推奨。
これは、仮想通貨でも同じだと思います。
わけがわからないポジションを取ってしまって、自信がなければ一旦リセットすることも大事です。
命を大事にしていきましょう。
そんな私にジョージ・ソロスからありがたいお言葉がありました。
「まずは生き残れ!儲けるのはそれからだ!」
(Survive first and make money afterwards )
さいごに
私は負けました。
700万円負けました。
そのうち、150万円を損切りした東日本大震災。
当時GMOクリック証券でトレードしておりましたが、フリーズせずしっかりガラケーでトレードすることができたと感謝しております。
さすが、最大手でした。



色々な経験をしましたが、その1つを記事として残しました。
世界中で私だけのオリジナル記事になります。
こういう経験があって今の兄貴があります。
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